奄美に通い始めてじきに、「昔は年の暮れには浜で豚をつぶしてた」と聞いた。いまは保健所の許可が必要なのでできなくなったけど、と話してくれる人たちは、みんな懐かしそうな顔。いまは行われなくなった集落行事を懐かしむのと、同じトーンがそこにあった。
東京生まれ、東京育ちの私は、小さいころ、肉屋さんに行って、タイミングよく大型冷蔵庫の扉が開くと、中に大きな枝肉がぶら下がっているが見られるのが楽しみだった。でもそれはもう「肉」であって、生きている豚や牛とは違うものだった。
ブヒブヒ、モーモーいっている豚や牛から、どうやってぶら下がっている枝肉(ときには肉屋のおじさんが肩にかついでいる光景も見れた)になるのか、まったく想像できなかった。
だから、懐かしげに話してくれる人たちを見ていて、この人たちには「豚をつぶす」ということが年中行事のひとつ、ハレの場ではあるけれど、ちゃんと暮らしの一コマとして刻まれていたんだな〜ということがうらやましかった。
トゥシケタの人は、つぶした豚を塩漬けにして、甕に入れて、高倉にしまっておいて、4月ぐらいまでは食べたとか、塩漬けにしておくと水が出てきて、それが高倉の上からポタッポタッと落ちてきたとか、そんな話をしてくれる。「いまの豚とは味が違う」とか、「こんな話してたら、ヨダレがでてきちゃったわ」なんていう人もいて、それはそれはうらやましいものだった。
30代ぐらいの人からも、「小さいころ、豚をつぶしたのは覚えてるよ」と、シッポをもらったとかなんとか、楽しい思い出のように聞いた。
数ヶ月前、どこかでこの『世界屠畜紀行』の紹介を見て、これはぜひ読みたいと思ったのは、そんな奄美の話や、私がいまだに知らない生きてる豚や牛→枝肉(パック詰め)のあいだの空白を埋めたいと思ったからだ。
タイトルを打ち込むのに「とちく」はもちろん、「とさつ」が変換されないのにびっくり! 「ほふる」は「屠る」に変換されるのに、なぜ?
著者の
内澤旬子さんは「屠殺」ではなく「屠畜」という理由をまえがきでこう書いている。
本書で私は「屠殺」ということばはなるべく使わずに、「屠畜」という馴染みの少ないことばを使っている。生きた動物を肉にするには、当然殺すという工程が含まれるのだけど、殺すということばにつきまとうネガティブなイメージが好きでなかったことと、これから読んでいただければわかるように、なによりも殺すところは工程のほんのはじめの一部分でしかない。そこからさまざまな過程があって、やっと肉となる。そう、ただ殺しただけでは肉にならないのだということを、わかってもらいたくて「屠畜」ということばを使っているんである。