昭和28(1953)年12月25日、奄美群島は本土に復帰した。
数年前、復帰当時に和光園(現・
国立療養所奄美和光園)の庶務課長だった松原若安さんが、園誌『和光』によせた「復帰雑感」を読む機会があり、ノートに書き写してきた。
20余万の同胞は勿論、全日本人の喜びの日であると思う。
(中略)
当然復帰すべきものであるとは云え、今日、この日あらしめたのは奄美復帰運動に全力を注いでくださった内外の諸先輩、有志諸氏の絶えざる努力と20余万大衆の強力なる協力の賜であったことに深い意義がある
奄美の天地に叫ばれたこの民族運動が遠く埃及の独立運動にも影響したとの事に想いを致す時、我々の復帰運動が真実を叫び正義を愛し人間の本質を強く保持し民族の招来への希望を高く昂揚した最も自然的な嘆願であったことが人を動かし神の御心にかなったものと思はれる
奄美の帰属運動は単なる日本最南端の一孤島の問題でなく全地球上の全人類の関心をそそった事であり、又世界の政治問題の渦の中にも、もまれたことであった、奄美の名を世界に示した民族運動であっただけに今後の我々の責務は更に重大であると思う。この運動が国際的とりきめを改訂し国際条約を撤廃したと云う大きな役割を我々は決して忘れてならない。
我々は復帰することによる経済問題の解消や他国の支配下にある感情問題の解消や其の他我々に好条件のみを求めず
祖国愛の為に受けるあらゆる苦難にも打勝ち得る勇気と覚悟が必要である
日本の世界的地位や日本民族の世界人類に果たすべき役割は何であるか、それを如何に果たすべきかと云う大きな今後に残された幾多の大きな問題がある。その大使命にむかって我々は、今日の復帰の歓びと共に堅い決心をきめてかかりたい
民族的そして個人的役割を果たして常に大いなる希望と自信とを持って事にあたろう
「民族運動勝利の鐘の響きよ 希くば全地球上の正義と平和の鐘と共に永遠に幸あれ」
当時の大いなる希望と喜びが伝わってくる文章。いま読むと、いささかオーバーではと思われるような部分もある。でも、大事なのはそんな瑣末なことじゃない。
この沸き立つような思いが、復帰から54年たついままでに、奄美に何を生み出したのだろう。もちろん復帰そのものにケチや難癖をつけるつもりはない。けれど、この半世紀あまりに得たもの、得られなかったもの、これから得ようとするものを冷静に見つめ直し、奄美の未来を語ることだって必要なことじゃないだろうか。