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島尾ミホさんへの手紙
ミホさん。僭越ながら、ミホさん、と呼ばせていただきます。私の中であなたはいつも「ミホさん」でした。

あなたの訃報がこんなにショックだとは(いわゆる高齢者の孤独死というかたちであなたの訃報が知らされたことも大きいのですが)、自分でも戸惑っています。少しでも自分の気持ちを整理したく、手紙のように書いてみることにしました。

ミホさんにお会いする伝手はあったけれど、お会いしたいと頼んだことはありませんでした。ミホさんにお会いしても、語り合うことばを私がもっていないからです。

ミホさんの生い立ちや、戦争中のことなどを質問することはできたかもしれません。でも質問−回答という、入り江の向こうとこちらで糸電話でやりとりするようなことをして、お会いしたという事実だけをつくっても何にもなりません。お会いして、ひとつの場で同じ時間をもつからには、ともに物語を紡ぎたい。けれど私はミホさんのことばを理解することはできなかったでしょう。字義的な意味はわかっても、語られる物語の背景、そこに描き出される物語を理解するには、私はあまりにもミホさんの前で非力だと感じていました。

きっと私は理解できないことにもがき、苦しみ、一層ことばを失っていったでしょう。その息苦しさに耐えきれずに、私は何事かを叫んだかもしれません。


極東ブログさんが[書評]海辺の生と死(島尾ミホ)で書いていらっしゃる感覚は、もしかしたら私にも近いものがあるのかもしれません。

「海辺の生と死」と島尾ミホさんについて、私の胸にこみ上げるような思いがいろいろとある。だが言葉にならない。死は悼むべきだが、彼女は天寿に近い。その死を強く悲しむものではないが、なにか泣きたいような思いだけはこみあげてくる。
 本を手に取りなんども読んだページをめくりながら、その感情のコアがどこにあるのかと問い直すまでもなく、それが何であるはわかる。だが、それをどう書いたらいいのだろうかとなるとまるでわからない。そこに記されている言葉を引用するのさえ畏怖感がある。


何年か前、『海辺の生と死』と『祭り裏』を濱田康作さんに貸していただきました。『ドルチェ-優しく』も見せていただきました。

そして私はミホさんに畏れを抱きました。
お会いしたこともない方に対してこんな失礼な言い方はなのですが、私はミホさんがこわかったのです。

いまを生きながら、この世とは別の時空を漂っているようでもあり、「純粋」とか「無垢」とかいうことばとも違う何か、もっとことばにならない何かがこわかったのです。

ミホさんと島尾隊長、島尾敏雄さんとの関係より、私はミホさんという希有な女性を育んだご両親やシマの環境に、ものすごさ(という俗なことばしか見つけられないのは哀しいことです)を感じていたのかもしれません。

ミホさんを思うとき、そして私が何をこわがっているのだろうと思うとき、
私はもしかしたらシマを恐れていたのでしょうか。それとも私自身も経験したことがなく、ほかの誰からも聞いたことがないほどのウヤフジのウムイの強さを恐れたのでしょうか。それともそのどちらも私にないことを恥じていたのでしょうか。


ミホさんは喪服に身を包んでいらしたと聞いています。ミホさん、あなたはどなたの喪とともにあったのでしょう。島尾敏雄さんだけでなく、ジュウやアンマ、そしてマヤさん、また大勢の先に旅立った人たちとともに生きていらしたのでしょうか。



もうぜったいにお会いすることはできないという不埒な安堵と、とても大きな喪失感を、ミホさんは私に残してくれました。島尾ミホさんという方の存在を、これまでになく身近に、大きなものとして感じています。



でも、ミホさんはほんとうはどんな方だったのでしょう。
ミホさんのお書きになった文字。力強く、伸びやかで、紙幅からあふれるようでした。最近も畑をなさったり、犬と遊んだりしていらしたとも、もれうかがいました。もしかしたらとても快活な方だったのかもしれませんね。私の妄想が大きかっただけかもしれません。




これまで島尾伸三さんの著書もしまおまほさんの著書も避けていました。でも、与論島クオリアさんの小さな手が受けとめるを読んで、やっと読んでみようと思えるようになりました。



ミホさん、さようなら。



| よもやま | 23:58 | comments(3) | trackbacks(1) |
コメント
sarahさま、喜山です。

おっしゃるように、「純粋」という言葉では、
まだ軽いですね。

sarahさんの言う「不埒な安堵」、
よく分かる気がします。
| 喜山 | 2007/04/01 3:51 PM |
喜山さん、コメント&TBありがとうございます。

TB合戦になってますが、いろいろと触発されるもので。。。
| sarah | 2007/04/01 6:19 PM |
sarahさん、喜山です。

こちらこそありがとうございます。

奄美の架け橋、どうぞよろしくお願いします。
| 喜山 | 2007/04/01 11:49 PM |
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「洗骨」の話
1960年代生まれの、与論島出身という立場からみると、 島尾ミホの『海辺の生と死
| 与論島クオリア | 2007/04/01 3:53 PM |