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もう一度会える
与論島クオリアさんの「洗骨」の話を読んで思い出した。

たしか2002年の2月頃だったと思う。
都内に住む私より少し年上の加計呂麻出身の人から、
前年か前々年にシマで亡くなったお父さんを
土葬にしてあげたという話を聞いた。

「改葬まで、僕はしっかり生きなきゃいけない。
13年後、親父にもう一度会える。
そのとき、親父に会って恥ずかしくないように、
ちゃんと胸を張って親父に報告できるように、
しっかり生きてなきゃいけないんだ」

亡くなった人にもう一度会える。

改葬とは、そういうものなのだろうか。
私はお伽噺を聞いているのだろうか。


その後、与論島での改葬の話を聞いた。

その日は雨が降っていた。
お墓からお骨を取り出すとき、
人々は「濡れないように」と傘をさしかけた。

頭骨を洗い、ほかの骨を洗っていく。
女の人たちが骨を洗っている間、
孫娘がおばあちゃんの頭を抱いて、ずっとしゃがんでいた。

まわりでは女の人たちがおしゃべりをしながら
順番に骨を洗っていく。
雨が降る中、長い長い間、
その娘はちょっとうつむいたまま、微動だにしなかった。

改葬が終わってから、聞いたそうだ。
「あのとき、何を考えていたの?」

「おばあちゃんと話をしていました。
小さいころのこと、あんなことがあったねとか、
どんなことしたとか。あとはよくわからないけど、
ずっと、おばあちゃんとお話ししてたんです」


あぁ、やっぱり。


本書「命めぐる島、与論の創世神話」で町ゆかりさんが触れているように、
与論島に火葬場ができたのは2003年。

2004年1月、与論で。
「でも、焼かないでくれというお年寄り、
焼きたくないという人は多いんですよ。
逝く者も、送る者も、
もう会えない別れなんて、寂しいですからね」


[与論島]
| シマ情報 | 18:08 | comments(3) | trackbacks(0) |
コメント
蛇足ですが傘は晴天でもさすはずです。

火葬場建設が決まったときに島の人々に取材したら、
sarahさんが聞いたのと同じように
「また愛する人に会えた」
という喜びが大きいのだと教えられました。

死者と生者が密接に関わる島空間は、本当に濃密だと思います。
| saito | 2007/04/02 12:50 PM |
「お骨にティダガナシ(太陽の尊称)は禁忌だと言いながら男物の蝙蝠傘を墓の上にさしかけたのです。」
(『海辺の生と死』「洗骨の話」)

洗骨の様子は、出水沢藍子さんの『マブリの島』(高城書房)にも描写されていますが、そこでも傘を差し掛けていますね。


亡くなってもいなくなるわけじゃない。うまく言えないけど、シマを歩いているとそう感じます。
| sarah | 2007/04/02 6:58 PM |
sarahさん、喜山です。

まさにそう思います。
祖母の挙措など見ていると、
ほんとうにそこにいるように話していました。

それはあったかい感じがしました。
| 喜山 | 2007/04/02 8:48 PM |
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