2007.04.12 Thursday
「つながりたい」
田舎暮らし 人生創造 浅野誠
http://makoto.ti-da.net/
というブログに採り上げていただいているのを発見。
奄美とつながりたい(2007年04月11日)
http://makoto.ti-da.net/e1480116.html
http://makoto.ti-da.net/
というブログに採り上げていただいているのを発見。
奄美とつながりたい(2007年04月11日)
http://makoto.ti-da.net/e1480116.html
奄美は鹿児島と沖縄との深いつながり(ときには悲しいつながり)のある島々であり、文化的にも独特のものを島々ごとに伝え育てている。この本ではそれほどでてこないが、「島起こし」をいかにしていくか、という課題にも直面しているはずである。「島チャビ」という言葉がかって沖縄でもよく使われたが、奄美がより以上あてはまるように思う。「島チャビ」という言葉には初めて触れたが、検索してみると「チャビ」とは「痛み」のことで「離島苦」などと説明されていたりもするようだ(Googleで検索「島チャビ」「シマチャビ」)。
ブログ主は、3月下旬に刊行されたばかりの『沖縄田舎暮らし』(アクアコーラル企画)の著者さん。沖縄大学・琉球大学でも教鞭を執る、教育学関係の研究者の方のようだ。
Webサイトは「浅野人間研究所のホームページ」
http://www.mco.ne.jp/~makoto/
本書は『奄美の島々の楽しみ方』というタイトルではあるのだが、編集していて、島にあるのは当然ながら楽しみ歓び「だけではない」ということについても常に意識させられていた。また、現代では「痛み」「苦しみ」とともに「もどかしさ」としても感じられているようにも思う。2月に初めて島を訪れた時、あちらを立てればこちらが立たないもどかしさが、濃密に島の人々を覆っているように感じもした。
また、そのもどかしさは、「奄美は鹿児島(あるいは内地)ではない、沖縄でもない」といったアイデンティティの悩ましさとしても強く感じる。あるいは「奄美大島だけが奄美ではない」という意識も、これと同根のものか。
いま、奄美群島は、誰かと、何かと「つながりたい」と熱望していると感じる。沖縄をはじめとする琉球弧の島々への親近感と違和感のせめぎ合い。そう感じることを潔く思わないような、情けなく思うような板挟みの感情もありそうだ。
今の奄美に、「つながりたい」と伸ばされた手をとる気運は、すでにあるだろうか。
Webサイトは「浅野人間研究所のホームページ」
http://www.mco.ne.jp/~makoto/
本書は『奄美の島々の楽しみ方』というタイトルではあるのだが、編集していて、島にあるのは当然ながら楽しみ歓び「だけではない」ということについても常に意識させられていた。また、現代では「痛み」「苦しみ」とともに「もどかしさ」としても感じられているようにも思う。2月に初めて島を訪れた時、あちらを立てればこちらが立たないもどかしさが、濃密に島の人々を覆っているように感じもした。
また、そのもどかしさは、「奄美は鹿児島(あるいは内地)ではない、沖縄でもない」といったアイデンティティの悩ましさとしても強く感じる。あるいは「奄美大島だけが奄美ではない」という意識も、これと同根のものか。
いま、奄美群島は、誰かと、何かと「つながりたい」と熱望していると感じる。沖縄をはじめとする琉球弧の島々への親近感と違和感のせめぎ合い。そう感じることを潔く思わないような、情けなく思うような板挟みの感情もありそうだ。
今の奄美に、「つながりたい」と伸ばされた手をとる気運は、すでにあるだろうか。