2008.01.01 Tuesday
DVD『エラブの海』
2006年3月。本書への執筆協力をお願いするため、私は沖永良部へ行った。
そのとき、どうしても知りたかったのが、『エラブの海』のことだった。
『エラブの海』は、1960年に制作された映画で、当時18歳だった朝崎郁恵さんが挿入歌をいくつか歌ったと聞いていた。朝崎さんがこの話をしてくれたのは、いつだったろう。そのとき、どんな映画なのか、その映画を朝崎さんは見たのかを聞いても、記憶は定かではなかった。だからこそ私はその映画のことが、引っかかっていたのだと思う。
沖永良部へ行く前から、『エラブの海』のことを知りたいとメールでも伝えていたので、めぐみさんも齊藤さんも調べてくれたのだが、図書館にもないし、まったくわからないということだった。
ところが昨年、『エラブの海』のDVDが発売される、という話が出てきた。これは見たい。12月9日におきえらぶ文化ホールで上映会と朝崎さんのコンサートが開かれることになったが、行くことはできなかった。
そこで、齊藤さんに「DVD買って!」と頼んで送ってもらったのが、元旦の今日、届いた。
エラブの海(Amazonでも販売中)
屋久島、奄美大島、徳之島、沖永良部でロケを行い、世界初のシネマスコープ水中カラー撮影に成功したセミドキュメンタリーは、当時、日本の最南端だった奄美群島から、「エラブ諸島(?)」という架空の島を舞台にゆったりと進む。
48年前の魚が群れ泳ぐ美しい海、水中眼鏡だけで文字通り素潜りをする女性たち(石川県からスカウトしたプロの海女さん)のしなやかな姿、見ているだけで湿度が伝わってくるような緑濃い木々、熱に浮かされるように踊りながら闘牛場へ向かう人々、掃き清めた墓の前で琉球風の踊りを踊る女性……。この映画は、当時の島の暮らしの一部を写し撮った貴重な映像だ。
朝崎さんの歌声が、いまもあまり変わらないことには驚くが、沖永良部の人たちにとって、奄美の島唄は違和感があるのではないだろうか、などということもちょこっと気にはなる。けれど、この映画の制作者は、こう考えたのではないだろうか。「島の人には大きいけど、島を知らない人から見たらわからないこと」までは踏み込まない、それは島を知ってから気づいていけばいい、自分たちがこの映画をつくる上でいちばん大事なのは、「まず知ってもらうことだ」と。
そしてそれは、本書をつくるときにも私がさんざん言われたことだった。
映画を見ていると、「ここはどこだろう」「あ、ここは……」と随所で思う。けれど、そこを気にしすぎてしまうと、この映画が伝えたいことをちゃんと捉えられなくなる。そんなことを考えていると、この映画と『めがね』は似ているのかもしれないとも思う。どちらも、この島(島々)だからこそできた映画だということが大事なんだ。
そのとき、どうしても知りたかったのが、『エラブの海』のことだった。
『エラブの海』は、1960年に制作された映画で、当時18歳だった朝崎郁恵さんが挿入歌をいくつか歌ったと聞いていた。朝崎さんがこの話をしてくれたのは、いつだったろう。そのとき、どんな映画なのか、その映画を朝崎さんは見たのかを聞いても、記憶は定かではなかった。だからこそ私はその映画のことが、引っかかっていたのだと思う。
沖永良部へ行く前から、『エラブの海』のことを知りたいとメールでも伝えていたので、めぐみさんも齊藤さんも調べてくれたのだが、図書館にもないし、まったくわからないということだった。
ところが昨年、『エラブの海』のDVDが発売される、という話が出てきた。これは見たい。12月9日におきえらぶ文化ホールで上映会と朝崎さんのコンサートが開かれることになったが、行くことはできなかった。
そこで、齊藤さんに「DVD買って!」と頼んで送ってもらったのが、元旦の今日、届いた。
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屋久島、奄美大島、徳之島、沖永良部でロケを行い、世界初のシネマスコープ水中カラー撮影に成功したセミドキュメンタリーは、当時、日本の最南端だった奄美群島から、「エラブ諸島(?)」という架空の島を舞台にゆったりと進む。
48年前の魚が群れ泳ぐ美しい海、水中眼鏡だけで文字通り素潜りをする女性たち(石川県からスカウトしたプロの海女さん)のしなやかな姿、見ているだけで湿度が伝わってくるような緑濃い木々、熱に浮かされるように踊りながら闘牛場へ向かう人々、掃き清めた墓の前で琉球風の踊りを踊る女性……。この映画は、当時の島の暮らしの一部を写し撮った貴重な映像だ。
朝崎さんの歌声が、いまもあまり変わらないことには驚くが、沖永良部の人たちにとって、奄美の島唄は違和感があるのではないだろうか、などということもちょこっと気にはなる。けれど、この映画の制作者は、こう考えたのではないだろうか。「島の人には大きいけど、島を知らない人から見たらわからないこと」までは踏み込まない、それは島を知ってから気づいていけばいい、自分たちがこの映画をつくる上でいちばん大事なのは、「まず知ってもらうことだ」と。
そしてそれは、本書をつくるときにも私がさんざん言われたことだった。
映画を見ていると、「ここはどこだろう」「あ、ここは……」と随所で思う。けれど、そこを気にしすぎてしまうと、この映画が伝えたいことをちゃんと捉えられなくなる。そんなことを考えていると、この映画と『めがね』は似ているのかもしれないとも思う。どちらも、この島(島々)だからこそできた映画だということが大事なんだ。