2007.01.19 Friday
「白焼」到着

■白焼ってなに?
本づくりの工程を簡単に言うと、「原稿」→「レイアウト」→「校正」→「印刷」→「製本」→「配本」となる。
そもそも本というのはページを束ねて綴じ、表紙を付けたものだ。そこで、ページのなかにどんな文字や図版がどのように置かれるかは何度かの試し刷りで確認される。これを「校正」と呼ぶ。
「白焼」というのは、すべての編集作業を終えた後で大判の紙に何ページ分もが「面付け」されて折り畳まれた、後は断裁さえすれば製本できそう見える(まだできないんだけどさ)、本当に「最後の最後」の校正だ。
ウナギのようなおいしそうな名前にダマされてはいけない。昔懐かしい湿式コピーだの青写真だのの要領で作られるので、シケって、なんだかガバついている。かつては色だって青かったので「青焼」「アイ焼」と呼ばれていた。殴り合いの後の「青タン」のようではないか。かわいくないのだ。
おまけに、もはや確認するのは「ページの中身」ではない。ページの順番とかページ際(ぎわ)の処理とか、そういう部分だ。「この状態で製版(ハンコを作ること)するからね。ホントにコレで作ってもいいね? いいんだね!?」と念を押されているような確認作業なのだ。基本的に文字や図版に誤りが残っていることは想定されていない。今さら文字なんか直してると、印刷の現場から「こぉの、ど素人!」という罵声が(密かに現場のなかだけで)飛びそうな、ストイックな職人的な確認作業なのだ。
もしここで万が一間違っているところなんか見つけちゃったら、「う゛あ゛っ!」と声を失い、直しを入れるベキか入れざるベキか脂汗を流して悩み苦しむ、そんなストイックなストイックな作業なのだ。
■白焼から思い起こすシマ気質
「最後がストイックな作業」というのはなんだかシマには似つかわしくないような気がしないでもない。温暖な気候ゆえか、シマ気質ってそんなところがあるって思うでしょ? 「てげてげ」とかさ。だけど同時に、最後のシメがストイックな作業というのは、意外にシマっぽいかも、とも思う。
ぼくが本書の編集で知った「島」は、ノンキなばかりの場所ではなかった。思いもよらないキビシさもあって、それに毎日のように、あるいは毎年のように直面しているハードな環境でもあるのだ。とてもノンキなだけではいられない。あ。と言っても、そのキビシさを、持ち前のノンキさで乗り越えてるところもあるように思うのだけどね。
ノンキさもキビシさも、綾なしているわけさ。気がついてみれば当たり前だよね。
月曜日には、この「白焼」が印刷所に戻る。そこから劇的な「物理的変換」が始まる。
フィルムからハンコが起こされ、輪転機に据え付けられ、片面8ページの大判でグワー!と印刷され、折られ、綴じ合わされ、断裁され、製本される。
製本された本は、取次に搬入され、全国の書店に配本される。
奄美の書店にも並ぶことだろう。遠いよなあ、奄美。
最後の編集作業が終わると、本がやっと生まれ、生まれたばかりの本は新しい旅に出るのだ。
うぐぐ。緊張するぜ(-_-)
ところで、シマ気質としては区切りがついたらお祭り騒ぎなんだろうな、とは思う。でも、「できあがったらお祭り騒ぎ」なのだろうか。それとも「現物が届いたらお祭り騒ぎ」なのだろうか。
その謎は、もうすぐ解ける……かな?(^^;;